
前回は、日本の「食」に悩むミニチュア・シュナウザーの問題解決編だったが、今回は、再びNZに戻って、現地の犬事情についてをお送りしたい。以前にも書いたかどうか確かではないが、世界の各国、とりわけ先進国と呼ばれている国々には、SPCAというNPOがある。NPOとは、法的に「特定非営利活動法人」というもので、平たく言えば、特定の目的をもちつつも、それによる利益を追求しない団体のことを指す。資金は寄付等によってまかなうが、それを利益として追求することのない、特定の目的をもった団体、という意味である。
SPCAとは、英語でSociety of People against Cruelty for Animals、直訳すれば動物への虐待に反対する人々の団体、転じて動物愛護団体を意味する。対象は動物全般だが、力を入れているのは、絶滅種とヒトに身近なイヌネコである。SPCAインターナショナルと銘打たれたその本部は、米国のワシントンD.C.にある。そして他国のSPCAは、それぞれ独立した形をとりながらも本部と連携している、言わば支部的な存在であ。それはNZにもあって、その本部は同国最大の都市であるオークランドにある。その名称はSPCA Aucklandといって、同国内には、その支部であるシェルターを含む事務所が20カ所以上ある。また季刊だが、立派な機関誌を発行している。有名なところではPeTAというのもあるが、こっちは暴力も辞さずの過激派で、毛皮を着ている人にペンキをかけたりといった行動で知られる。米FBIにテロリストと認定されている某団体の資金源とも目されている。その点、SPCAは穏健派で保護活動も実践派ある。PeTAは、シェルター等の運営は一切していない。
上は、その季刊の機関誌であるanimals' voiceで、summer 2009-10とある。そう、彼の地は南半球の国だから、季節が逆となり、年を越しての夏になるのだ。SPCA Aucklandはは、NZ国内に10カ所以上のシェルター施設をもち、ブッチ本社では、ブッチの愛用者と共にフードの無料支給支援活動をしている。
NZは、国旗の中にユニオンジャックがあることでもわかるとおり、英国連邦の一員である。英国連邦といえばペット先進国であるという印象が強い。実際のところ、英国には穏健派から過激派まで、SPCA以外にもペットの愛護団体のNPOがいくつもあるくらいだ。とはいえ、残念ながら、そんなペット先進国でも主役は業の深い人間であるゆえ、どんなにSPCAが頑張ろうと、動物に対する虐待行為は常に存在する。犬猫が捨てられ、ろくに食べ物を与えられないということが彼の地でも起きているのだ。そこは日本となんら変わるところはない。されど、彼の地の社会では、ペットとはいえ「命あるもの」であるとの認識がしっかりと根付いている。対する日本ではどうか。生命ではなく器物扱いされているのが現状である。
英連邦の中心である英国では、犬猫は、基本的にブリーダーから譲り受けなければならない、という決まりがある。だからペットショップに行っても子犬や子猫はいない。高層住宅の場合、正確なところは忘れたが、たしか5階か6階以上のフロアに居住する者は飼ってはならないという法律すらある。NZは、そこいらが英国とは、少々異なるので、ペットショップでも子犬や子猫が買える。しかも、ショーでの実績をとやかく言わなければ、その命のお値段は、日本に比べてはるかにお手頃だ。
そんなNZでは、よほどのところでないかぎり、公園等で犬にリード(正しい英語名はリーシュ)が付けられているところを見たことがない。なんとなれば、そのような規制がないからだ。リードが不要であるのは、それなりのしつけなりトレーニングがされていることが前提、という考えが当たり前のことなのだ。それは、人に迷惑をかけない、かける恐れがきわめて低い、ということでもある。さらに犬連れでない人も、犬の扱いになれている。とはいえ、場所によってはリードの着用は必要で、そういっった場所には、きちんとそうする旨の看板が立てられている。
でも、そこはそれ、犬社会のこととなると、それはそれで、ときたまいさかい等の問題は生じる。でも、だからといって、日本の飼い主のような過剰反応はしない。よほどの事態でないかぎり、噛まれて怪我したといって警察を呼ぶなんてことは、まず起きない。言いかえれば、犬猫とのペットライフに関してNZは、日本よりもはるかに成熟している国なのである。下の剣呑な状態も飼い主の一喝で、渋々ながらも収まっていたし、収まらない場合は、飼主が引き離し、ついでにとそれを機会に躾もしていた。

動物の生命をきちんと命として認識し、愛護する対象とするNZにおける社会認識は、SPCAオークランドの設立された年を知るだけでもわかる。なんと19世紀の末なのだ。海外の、その世界においては、いまやブランド化しているといっても過言ではないSPCAだが、日本はその有無だけを見ても1世紀以上の違いがある。ブランドとは、また大げさなと思われるかもしれない。が、実際そうなのだからしょうがない。それにはちゃんとした理由があるのだ。
海外では、慈善を含む、国によって認定された特定目的でのチャリティ、寄付金については免税扱いにされる国々が少なくない。そういった国では、SPCAに対する寄付行為がその対象となっている。ゆえにSPCAへの寄付行為は、企業イメージを向上させるのにきわめて効果的であり、各国のSPCAは、大口の寄付をしてくれる企業を特定スポンサーとして、その名を公表している。そして、それらの中には、有名な日系企業の名がズラリと並んでいる。そこに自社のロゴがあることは、企業として名誉であり、尊敬されることなのだ。SPCAは、動物愛護団体における国際的ブランドとなっているというのは、そういうことゆえなのである。
ボクは、SPCA Aucklandの会長さんを含む面々と、当地を訪れていた米国のASPCAおよび全世界にある同組織の統括を担当するSPCA Internationalの方々をお会いし、夕食を共にしつついろいろと伺ったことがある。日本にはSPCAがない。しかし、あるべきだ。
いま、各地で独力で頑張っている各シェルターの支援のためにも必要だ。そのことを相談したところ、SPCA Internationalに認定されるSPCAを名乗る団体であるかぎり、それはNPOであるのは必須だと言われ、その理由を説かれた。実に明快な説明で、とてもよく理解でき、納得もできた。
ところが、最近になって、日本にSPCA日本を名乗る団体が登場した。しかし、同団体は、NPOでもなんでもなく、なんと社団法人である。つまりがSPCA Internationalからは認定されないのだ。問い合わせてみたところ、主宰者らしきオバサマが、「(設立に当たり)行政書士の先生が(社)のほうが設立しやすく、NPOは考えたことがなかったが、活動実績を積めばあとで(NPOに)なることもできると言われた」との実に眠たい回答が返ってきた。眠たいというのは、わかってない、という意味である。別な言い方をすれば、SPCAとしての運営ノウハウを海外のSPCAに相談をしたこともなく、したがって運営ノウハウも知らない、ということだ。しかしこのSPCA日本、企業への寄付要請活動は、熱心にやっているようだ。事務所の運営費や人件費といった固定費に寄付金が消えてしまわないことを願うばかりだ。
話をNZの犬たちに戻そう。ボクは、現地を訪れた際、時間を作っては緑の多い公園に足を運ぶ。また必ずシープドッグたちにお目にかかれる畜産農家にも立ち寄るようにしている。NZの公園は、ペットとペットオーナー以外にとっても天国である。木も多く、芝生もサッカーのピッチのようで、フッカフカの居心地満点である。犬たちは、そこで自由を満喫している。そんな公園の中では、剣呑な状態になっている犬たちもいれば、ご機嫌な仲良しグループもいる。芝生も、日比谷公園のように「芝生に入ってはいけません」みたいな野暮な立て札もない。あるのは、隣接する住宅地や幼児の遊び場、あるいは特定の公的施設のある区域によっては「リード着用」との表示があるだけだ。

周囲は交通量の多い道路で近くには老人ホームと病院、そして大学がある。隣接した公園は、どれも犬を放すには、向いていない広さ。ということで、その一帯は、リードの使用が義務づけられている、これはそれを示すオークランド市の看板だ。
そんなペット先進国のNZで、意外なことも知った。それは、とある牧畜農家にお邪魔したときのことで、そこではペットと働く犬とのあいだに明確な線が引かれているのだった。そしてそれは、働くシープドッグとペットの犬の両方がいる農家では、どこも同じの当たり前で常識的なことでもあったのだった。それは何かと言えば、働き手のほうのシープドッグは、飼い主の住居の中には入れないのである。寝るのも、休むのも家の外なのだ。とはいえ、ちゃんと居心地のよい小屋なり納屋が用意されている。働く犬が家に入ることが許されるのは、引退後のことなのだ。
ところで、牧羊犬の仕事は楽ではない。追っかけ回し、グループにまとめて移動させてと言うのは簡単だが、あれだけ多いと向こう気の強い羊もいて、反撃もくらったりすることもあるのだ。さらに、まとめて進ませる方向は、牧場主の笛の音ひとつで瞬時に判断される。でもそれを嬉々としてやっている彼らを見ると、この犬種をペットにするなら、飼主にも、それなりの覚悟が求められるとボクは思った。働くDNAがあるのに、それをヌカれた運動の少ない生活を強いられるのは、けっしてその犬種にとっては幸せではないからだ。働く犬、NZにおいてその代表的な存在と言えるシープドッグたちは、誇りもある。引退して飼主の家で惰眠をむさぼれる状況になっても、仕事をしようとし、仕事がしたいと鳴いて訴えるそうだ。


いっぽうのペットの犬は、住居の中に入れるし、家の中で寝る。彼の地では、それが当たり前のことなのだ。犬も犬で、そういう世界に生きているので、それが何かしらのトラブルの原因になることもない。ひとことで言えば、そういうものなのである。そんな世界を見ていると、いわゆる群れの中での順位という概念は、ペットとしての犬のいる家庭においても同様と考えられている日本の風潮に違和感を感じさせる。犬は群れで生きる動物であり、群れにリーダーがいることにまちがいはない。けれど、そこんはヒトの視点から見た常識とか感情論が入り込む余地はないのだ。日本では、なんでもおセンチ、あるいはセンチメンタリズムで片付けられてしまう傾向が強く、それが勘違いの原因になっているようである。
実際に、家族の誰かしらがペットの犬に「目下」となめられる、または軽んじられる存在となるケースがあることは考えられる。でも群れにおけるリーダーうんぬんのコンセプトは、それをそのまま家庭にも延長できるのかどうかについては、どうか。NZでの現状を見ると、これまで言われ続けてきた日本での考え方が受け入れにくいとも感じるのだ。
要は、家庭、あるいは犬との生活の中での規律のあり方である。そこにのっけから群れという概念だけを持ち出すのは、わかりやすいようで、その本質からズレることが生じる恐れがあるような気にもさせられるのだ。言いかえれば、それは犬を含めての家族の問題のあり方ではなかろうか。犬を含めた生活の場での規律のあり方、とでも言うべきか。犬や猫を飼う、というよりは犬と暮らす、猫と暮らすかという根本的な考え方の出発点にズレなり、違いがあるような気がするのだが、いかがだろうか。誤解を恐れずに言えば、犬との暮らしの中での順位を考えるとすれば、1に規律、2に運動、そして3に愛情がくるべきで、ペット先進国では、それが常識に近いレベルで認識されている。日本ではどうか、往々にして愛情がトップにあって、規律と運動がなおざりにされてはいまいか。と、オクは感じてしまうのだ。
公園では、犬と家族が楽しくも穏やかな時間を過ごし、畜産農家では、仕事においては欠かせない有能な従業員として牧羊犬たちが活躍している。牧羊犬に多いのはボーダーコリーだが、中にはシェトランドシープドッグもいる。そして珍しいところでは、モスコウ(日本での表記でいえばモスクワだ)シープドッグなんていう、ジャーマンシェパードの兄貴分みたいなのもいる。兄貴分といっても、言ってみればバスケをやっている長男坊で、ジャーマンのほうは文系の三男坊という感じである。それは一見すれば、すぐにわかる。

この状態にならんで伏せした状態で待ってもらうには骨を折った。左のラブは、相当に大きなほうである。なのに、モスコウ・シープドッグは、かくもというくらい大きいのだ。遊んでいるうちに、ちょいとハメをはずされたときは、大変な思いをさせられたボクであった。
一般的なジャーマンシェパードを文系の三男坊というのは、モスコウのほうがはるかに大柄だからだ。ある農場にいたペットのラブラドールも相当に大きかったが、モスコウ・シープドッグは、それをはるかに凌駕するデカさなのだ。やはり、生物学的にいうところの「同種であれば、より寒いところのほうが大型化する」というのは本当のようだ。うちのスミレも寒い地方出身だからか、日本犬保存会の定める天然記念物としての柴のメスの標準を大きく超えている。言ってみれば、柴犬界の和田アキ子という感じだ。
そんなワケで、スミレは、柴犬としては手応えのあるサイズだが、ボクと奥さんの愛娘も同然の存在である。そんなスミレが、あれだけやせ細り、弱っていたのが、これほどまでに回復してくれたのもブッチのおかげだ。こうして、このブログが皆さんに読まれることとなっているのも、その苦労を乗り越え、また別な山々を越えてやってこれたからだ。そうして海にたどりつき、木製の手漕ぎの小舟で出航したばかりで、まだまだ時化や嵐も体験していくことになるのだろうが、いずれは船外機もつけ、船体もよりしっかりとしたものにして行きたいと思っている。
今回の最後に、NZで出会った犬の飼い主たちにフードのことを聞いてみたら、やはりブッチをはじめとする、チルドされたロールフードを利用している人のほうがドライの利用者よりもはるかに多かった。羊たちを追っている最中にそうそう水を飲める機会はない。となれば、食物に含有される水分量が重要になってくるのは道理である。ドライは、水分量があまりにみ少ないので、一時的に脱水症状に似た体調になるじゃないか、とそう一般の飼主さんに言われたときにはビックリした。でもって、それを補うだけの十分な両の水を飲んでくれるかと言うと、そうでもないというのも問題なのだ。
と、いろいろと書いたが、犬好きなら、NZへドッグウォッチングの旅に行ってみるのも一興ではないだろうか。日本とNZとでは、検疫上の優遇措置も多いので、愛犬を連れていくことも、そう難しいことではないはずだ。またそれは逆もあり、ということでもある。ところで、下の写真は、健康を回復し、すくすくと育ったスミレの2歳の誕生日のスペシャルディナーで、両面をさらりと焼いたNZビーフのステーキディナーをサーブしたときの写真だ。軽く焼いたのは、そのほうが風味がグンと上がるからだ。スミレは、ペロリンと下を出し、そしてそれをペロリとたいらげた。
